2024年1月24日(日) 礼拝メッセージ動画 2024年1月14日 詩編103編1~5節 説 教 「鷲のように新しく」 「鷲のように新しく」詩編 103:1~5詩編 103 編 2 節に、「そのすべての計らいを忘れるな」とありますが、3~5 節には、その神様の計らいの内容が記されています。1.主の計らいここには、過ちを赦し、病を癒し、命を墓から贖い(復活)、慈しみと憐れみの冠をかぶせて、望みを良きもので満たしてくださると記されています。何という豊かな恵みが備えられていることでしょう。こうして鷲の羽が新しい羽に生え代わるように、私たちも新しくされて進んで行くことができるのです。2.病の癒し今朝は、特に「病の癒し」ということを取り上げたいと思います。(1) 主イエスの十字架による赦しと癒し主イエスは私たちの罪、病、痛みを身代わりに担ってくださり、十字架にかかり死んでくださいました。こうして私たちの罪を贖い、病を癒してくださる道を開いてくださったのです(イザヤ53:4、5)。ただし、この地上にある間、私たちは肉体の弱さを持っているので病に犯されることがあります。主イエスは、そのような病に苦しむ人を憐れんで癒してくださいました。(2)罪の赦しと癒し主イエスは病を癒されるとき、「あなたの罪は赦された」(マルコ2:5)と言われました。これは病気が罪の結果だということではありません。病気が癒されても神様との関係が回復しなければ、本当の意味で癒されたことになりません。主イエスは、その人に神様との関係が回復するように導かれたのです。(3) 信仰による祈り「信仰による祈りは、弱っている人を救い」(ヤコブ5:15)と言われているように、信仰をもって病が癒されるように祈ることは大切です。(4) 癒しと成長では、祈っても病が癒されなかった場合、その人の信仰が足りなかったのでしょうか。パウロが自分の病の癒しを祈ったとき、主は彼の病を癒すのではなく、「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中で完全に現れる」(IIコリント12:9)と言われて、弱さの中でそれに打ち勝つ力を与えてくださいました。ここに病は直らなくても、主によって癒された人の姿があります。人は、霊と心と体から成っています(Iテサロニケ5:23)。「霊」とは神様と交わりをする所です。神様との交わりが生き生きとしたものであるとき、「キリストの形なるまで」と言われているように、人は最後まで成長していくのです。ここに、主イエスが与えてくださる素晴らしい癒しの恵みがあります。 共有:クリックして Twitter で共有 (新しいウィンドウで開きます)Facebook で共有するにはクリックしてください (新しいウィンドウで開きます)