2023年10月15日(日)礼拝メッセージ動画

「ネゲブに川が流れるように」 詩編 126編1~6節

「ネゲブに川が流れるように」詩編 126:1~6

詩編 126 編は 1~3 節でバビロン捕囚から解放され国に帰ることができた
喜びが、4~6 節では、帰って来た後での苦難の中での祈りが記されています。
1.解放の喜び
バビロンはペルシャによって滅ぼされ、ペルシャの王キュロスはイスラエル
の民が国に帰ることを許します。こうして彼らは再び祖国に帰ることができた
のです。紀元前538年のことでした。詩編126編の前半は、その時の喜びを歌
っています。まるで「夢を見ている」のではないか、「私たちの口は笑いに、
舌は喜びの歌に満ちた」と言います。「繁栄を再びもたらされたとき」とあり
ますが、ある方はここを「(主が)運命を変えられたとき」と訳しています。
異国の地で滅びるしかないと思っていた運命を、主は変えてくださったのです。
これはまさに、主イエスが私たちにしてくださったことです。罪と死の奴隷
として滅びに向かっていた私たちを、主イエスは救い出してくださいました。
主は私たちの運命を変えてくださったのです。
2.ネゲブに川が流れるように
祖国に帰ったイスラエルの民でしたが、そこでの生活は順調に進んだわけで
はありませんでした。まず、荒れた地を耕すことから始めなければなりません
でしたし、神殿の再建や城壁の建設も、困難を極めました。
詩編126編の後半は、そのような状況の中にある人々の祈りです。ネゲブと
は南という意味で、南の地域は乾燥地帯で、普段、川は枯れています。しかし、
ひとたび雨が降るとたちまち濁流となるのです。そのように、再び繁栄をもた
らせてください、と祈ったのです。また、荒れた地を耕して収穫を得ることは、
大変な労力が必要でした。それでも、種を蒔かなければ収穫はありません。「涙
と共に種を蒔く」とは、そんな労苦のことを言っているのだと思います。でも、
そうやって種を蒔き続けて行く時に、喜びの収穫のあるのです。
ここに、キリスト者の姿があります。キリスト者には、この地に主のみ旨が
成るように、たとえ困難があっても、主と共に労していく使命が与えられてい
ます。ですから、私たちも愛の種、御言葉の種を蒔きましょう。「種を蒔く人
のたとえ話」から学ぶことは、種を蒔く人はどんな人にも種を蒔いたというこ
とです。石だらけのような人だと思った人が、良い地の場合もあるのです。で
すから、こちらで決めつけないで、御言葉の種を蒔きましょう。
水蒸気が昇って行って雲を作り、やがて雨が降るように、私たちの祈りは天
に蓄えられています。その祈りが満ちたとき、ちょうど、突然、雨が降り、ネ
ゲブに川が流れるように、主は素晴らしい御業を行ってくださいます。