2024年5月12日(日)礼拝説教 「乳飲み子のように」 ペトロ第一2章1~3節 2024年5月13日 「乳飲み子のように」ペトロ第一 2:1~31.捨て去るもの私たちは、キリスト者として何歳になっても成長していくことができます。そのためには、まず成長を妨げるものを捨て去るようにと勧められています。それは「一切の悪意、一切の偽り、偽善、妬み、一切の悪口」です。これらはキリスト者としてのその人の成長を妨げ、兄弟姉妹としての教会の交わりを壊し、教会の成長を妨げてしまいます。ですから、これらを捨て去ろうと勧めているのです。2.乳飲み子のようにしかし、これらのものはしぶといので、人間の力だけで捨て去ることはできません。そこで、「生まれたばかりの乳飲み子のように、理に適った、混じりけのない乳を慕い求めなさい」と勧められています。赤ちゃんがお母さんの乳を飲んで元気に育つように、キリスト者は、理に適った、混じりけのない乳によって育てられていくのです。では、「理に適った、混じりけのない乳」とは、何でしょうか。「理に適った」と訳されている言葉は、もともと「ロゴス」という言葉から来た言葉で、大きく3つの意味があります。1 言葉:「御言葉の乳」。2 理に適った:「筋道が通っている真理の乳」3 霊(神の力):「神の力の乳」聖書の御言葉は、理に適った、筋道が通っている真理の言葉であり、私たちを生かす神の力の言葉です。さらに「混じりけのない」と言われています。「混じりけのない」とは「偽りがない」という意味です。神の言葉には偽りがありません。神様が約束されたことは変わることがなく、必ず実現するのです。私たちは、この神の言葉によって成長し、様々な苦難の中でも救われ、最終的な救いの完成へと至ることができるのです。3.主が恵み深い方だと「あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わったはずです」と言われています。聖書を読んで、どんな味がするでしょうか。聖書を読んで、イエス様が恵み深いお方だということを味わう、ここに大切な聖書の読み方があります。今日は「母の日」ですが、教会は「母なる教会」と言われます。母が新しい命を生み出し、養い育てるように、神の子は母なる教会の中で養い育てられるのです。私たちは、教会の礼拝を通して御言葉の乳をいただき、そして互いに祈り合い、助け合う交わりの中で成長していくことができるのです。 共有:クリックして Twitter で共有 (新しいウィンドウで開きます)Facebook で共有するにはクリックしてください (新しいウィンドウで開きます)