2024年4月21日(日)礼拝説教 「空しい生活からの救い」ペトロ第一 1章17~21節 2024年4月21日 「空しい生活からの救い」ペトロ第一 1:17~21キリスト者とは、「先祖伝来の空しい生活から贖われた者」だと聖書は言います。ここで言われている「先祖伝来のむなしい生活」とは偶像礼拝ということです。偶像は生きて働くことがないので、それを頼りにしている生活は空しいというのです。でも偶像礼拝とは、人が造ったものを拝むということだけではなく、お金や地位や名誉や健康なども、それを第一の拠り所にしていると、その人にとってそれが偶像となってしまいます。それらはこの地上のことだけなので、本当の意味で私たちを支えることはできません。聖書は、真の神様を礼拝する生活こそ確かな生活だと言います。1.神を畏れる生活聖書は、「神様を畏れ敬う生活をしなさい」と言っています。これが神様を礼拝する生活です。アブラハムは約束の地に着いたとき、真っ先にしたことは祭壇を築き神様を礼拝することでした。ところが飢饉が来たとき、彼はエジプトに逃れ、自分の妻を妹と偽り、自分だけ助かろうとしました。神様の介入によって救われましたが、これは彼の大きな失敗でした。彼は最初の場所に戻り、再びそこで礼拝をささげています。飢饉の時、そしてエジプトに行った時、そこで礼拝をしたということは書かれていません。神を畏れることを忘れると、目の前の状況や人を恐れるようになります。しかし神様を畏れる時、他のものを恐れることから守られるのです。2.キリストの尊い血私たちを空しい生活から贖い出してくださったのは、主イエス・キリストの十字架の恵みです。「銀や金のような朽ち果てるものによらず」とありますが、これはこの世のどんなものであっても人を救う力はないということです。人が救われるのは、「傷も染みもない小羊のようなキリストの尊い血」によるのです。主が、どんなに大きな犠牲を払って私たちを救ってくださったかを覚えましょう。私たちもアブラハムのように失敗をします。その私たちが礼拝をささげることができるのは、主イエスの十字架による贖いのゆえです。ですから、礼拝の真ん中にいつも十字架が立っていることを覚えましょう。3.復活の希望父なる神は、キリストを死者の中から復活させてくださいました。そして、私たちに復活の命を与えてくださいました。礼拝は、この復活の希望を新しくするときです。「あなたがたの信仰と希望とは、神にかかっている」と言われています。私たちの信仰と希望は、神様に基づいているのです。だから大丈夫なのです。ですから私たちも、神様を信頼して、神様に賭けていくのです。 共有:クリックして Twitter で共有 (新しいウィンドウで開きます)Facebook で共有するにはクリックしてください (新しいウィンドウで開きます)