2024年3月24日(日)礼拝説教「ここに愛がある」     ヨハネ第一 4章7~11節

「ここに愛がある」ヨハネ第一 4:7~11

今週から受難週となります。主イエスの十字架を深く覚えるときです。主
イエスの十字架とは一体何だったのでしょうか。ヨハネ第一 4 章 10 節には
「宥めの献げ物」であると書かれています。「宥めの献げ物」とは、どうい
うことでしょうか。
1.神の怒り
神様が怒るというのは神様にふさわしくないと思われる方がおられるかもし
れませんが、神様は正しいお方であり、罪を行う人に対してはお怒りになるの
です(ローマ1:18)。今、悲惨な争いが続いています。神様はこの世界をどう
見ておられるのでしょうか。神様は怒っておられると思います。しかし、この
罪の問題は、誰かの問題ではありません。すべての人が抱えている問題です。
「互いに愛し合いましょう」と言われているのに、愛し合うことができないで、
逆に憎んだり、妬んだり、裁いたりしてしまうのが私たちです。
イザヤは、聖なる神様の臨在に触れたとき、「ああ、災いだ(ああ、私は滅
んでしまう)」(イザヤ6:5)と言いました。自分の罪に気づくことは大事なこ
とです。そこから、救いが始まるからです。ですから、神の怒りとは愛するが
ゆえの怒りです。神様は愛するがゆえに、そのままでは駄目だと厳しく言われ
るのです。それが神の怒りです。
2.宥めの献げ物
(1)宥めの献げ物とは、人間が神様の怒りを宥めるために献げ物をするという
ことではありませn。
(2)父なる神様ご自身が、宥めの献げ物を用意してくださいました。それが、
神の独り子、主イエスの十字架でした。
(3)「宥める」と訳された言葉は「覆う」とも訳すことができる言葉です。主
イエスが私たちを覆ってくださったのです。父なる神の正義の怒りのハンマー
が打ち下ろされた時、罪人である私たちを覆って、そのハンマーを受けてくだ
さったのが主イエスの十字架でした。聖書は、「ここに愛がある」というので
す。こうして私たちは、神の怒りから救われたのです(ローマ5:8~9)。
3.互いに愛し合いましょう
私たちは何のために救われたのでしょうか。愛に生きるためです。聖書は繰
り返し「互いに愛し合いましょう」と勧めています。それは、互いに愛し合う
ことができない現実があるからです。しかし、神様は罪人である私たちを愛し
てくださいました。そして愛に生きる力を与えてくださいました。こうして、
互いに愛し合うことができるようにしてくださったのです。