2024年1月21日(日) 礼拝メッセージ動画 2024年1月24日 詩編103編1~10節 説 教 「主は憐れみ深く」 「主は憐れみ深く」詩編 103:1~10詩編 103 編3~5節には、「あなた」という言葉が繰り返し出てきます。主から個人的に与えられた恵みが記されているのです。6節には「虐げられているすべての者のために」と言われていて、「私」から「すべての者」へと視野が広げられています。私を恵んでくださった主は、すべての人に恵みを与えてくださると言って、主を賛美しているのです。1.主は憐れみ深く(1)「主は虐げられているすべての者のために、正義と公正を行う」(6)。目の前のことだけを見ると、力の強い者が弱い者を虐げているように見えますが、長い目で見るときに、おごり高ぶる者は滅びていきます。主は弱い者を助け、正義と公正を行ってくださるお方です。(2)「主は、ご自分の道をモーセに…知らせた」(7)。モーセが十戒をいただくために山に登っている間に、イスラエルの民は待ちきれず、金の子牛を造って偶像礼拝を始めてしまいました。主は堕落した民を裁き、再び一緒に上らない、と言われました。これを聞いたモーセは主に祈ります。すると主は、その祈りに応えて、「私自身が共に歩み、あなたに安息を与える」(出エジプト33:14)と言ってくださったのです。道を教えてもらうことは助かります。しかし、もっと助かることは道を知っている人が目的地まで一緒に行ってくれることです。主は私たちの人生の道を一緒に歩んで導いてくださるお方です。(3)「主は憐れみ深く…慈しみに富む」(8)。何度も失敗する民を、主は忍耐深く導き続けてくださいました。主の憐れみは何と深いことでしょう。「慈しみ」とは、「私たちを決して手放さない愛」ということです。2.罪に応じてあしらうことなく(1)人は罪を犯してしまうと、主は永遠に怒っておられるのではないかと思って不安になります。また、人は犯した罪の大きさによって罰を受けるのではないかと思って恐れます。しかし主は、「とこしえに怒り続けることもない」、「罪に応じてあしらうことなく」と言われています。主の赦しの恵みは、私たちの思いを超えて、大きいのです。(2)しかし、このことは罪の問題を軽く扱ってよいということではありません。自分の罪の深さを知ることなしに、主の赦しの恵みの大きさを知ることはできないのです。36,7,8節は、「主は」という言葉で始まっています。私がどう思うかということを超えて、主はどのようなお方でいてくださるのか、ということを受け止めていくことが大切です。そこから賛美が生まれてくるのです。 共有:クリックして Twitter で共有 (新しいウィンドウで開きます)Facebook で共有するにはクリックしてください (新しいウィンドウで開きます)