2023年11月12日(日)礼拝メッセージ動画

イザヤ書43章1節(旧P1,114)  説 教 「ただ一つの慰め」

今朝の礼拝は召天者記念礼拝です。天に帰られた兄弟姉妹を偲びつつ、天
を見上げて礼拝をおささげいたしましょう。
1.ただ一つの慰め
ハイデルベルク信仰問答は、1563年にドイツのハイデルベルクという町で
作られました。その最初にこう記されています。「生きるにも死ぬにも、あな
たのただ一つの慰めは何ですか。」
ここで「慰め」と訳されている言葉には、助ける、支える、寄り頼むことが
できる力、勇気づける、という意味があるそうです。人生のどんなときにも、
そして死に臨んだ時にも、あなたを助け、支え、寄り頼む力となり、勇気を与
えてくれるもの、それをあなたは持っていますか、というのです。
2.キリストのものとされている
この問いに対して、この信仰問答はこう答えています。「わたしがわたし自
身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主、
イエス・キリストのものであることです。」
「私は私のものだ」と思っている人がいるかもしれません。しかし、これは
突き詰めると、自分自身がただ一つの支えだ、ということですから、こんなに
脆い生き方はありません。
旧約聖書の雅歌は男女の愛を歌った歌ですが、ここに神様(イエス・キリス
ト)と私たちの関係が歌われていると解釈されてきました。その中で、こう歌
われています。「私は愛する人のもの。私の愛する人は私のもの」(6:3)。
このように、主イエスは私たちの名前を呼んで「私はあなたを愛している。あ
なたは私のものだ」(イザヤ43:1)と言ってくださっているのです。ですか
ら、私たちはもはや孤独ではありません。決して見捨てられることもありませ
ん。主イエスご自身が、どんなときにも、私たちの助けとなり、支えとなり、
寄り頼む力となり、勇気を与えてくださるのです。
3.私があなたを贖った
どのようにして私たちがキリストのものとなることができたのか、信仰問答
はこう答えています。「この方は御自分の尊い血をもって、わたしのすべての
罪を完全に償い、悪魔のあらゆる力からわたしを解放してくださいました。」
主イエスは十字架という尊い代価を払って、私たちを罪と死の束縛から解き放
ち、私たちをイエス・キリストのものとしてくださいました。天に帰られた兄
姉はこの恵みにあずかり、死の陰の谷を歩む時も主イエスが共にいて守り、天
へと導いてくださったのです。その主が私たちとも、共にいてくださいます。