2025年10月5日(日)礼拝説教「私はまことのぶどうの木」ヨハネによる福音書 15章1~5節 島津師

主イエスは、「私はまことのぶどうの木」、そして「あなたがたはその枝で
ある」と言われました。
1.豊かに実を結ぶ
ぶどうの木から枝の方に樹液が伝わっていき、やがてその枝に実が実ります。
そのように、私たちが主イエスにつながっているならば、「その人は豊かに実
を結ぶ」と言われました。
では、実を結ぶとはどういうことでしょうか。どれだけ成功したか、という
こととは違うように思います。ガラテヤ5章22、23節には、「霊の結ぶ実は、
愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」と言われています。
主イエスは私たちの中に、このような実を結ばせてくださり、そして私たちを
通して、愛、喜び、平和が広がっていくと約束してくださったのです。
2.私につながっていなさい
では、どうしたら私たちも豊かに実を結ぶことができるのでしょうか。
(1) 手入れ
豊かな実を実らせるためには、余分な枝を取り除く必要があります。私たち
の生活の中で、主に喜ばれないものがあったらそれを除きましょう。
(2) 主イエスにつながっている
「つながっている」と訳されている言葉は、「とどまる」とも訳すことがで
きる言葉です。それは、一時的にとどまるのではなく、ずっと「住みつく」と
いう意味です。私たちが主イエスにとどまっているとき、主イエスも私たちの
内にとどまっていてくださいます。そして、主イエスは私たちに命を注いでく
ださるのです。なかなか結論が出ない状況の中で、耐える力、折れない力、希
望を持ち続ける力を与えてくださいます。ですから、私を離れるな、と主イエ
スは言われます。実を結ぶのは、主イエスがしてくださること、私たちがする
ことは、とどまることです。
(3) 主イエスにとどまるとは、主イエスの御言葉にとどまり、主イエスに祈ると
いうことです(7節)。御言葉と祈りによって、主イエスは私たちに新しい命を
与えてくださいます。
(4) 主イエスにとどまるとは、キリストの体である教会にとどまるということで
す。教会の交わりの中で、私たちは養われるのです。