2025年9月21日(日)礼拝説教「アンティオキア教会の誕生」使徒言行録 11章19~30節 島津師

「アンティオキア教会の誕生」使徒 11:19~30

使徒言行録の後半は、パウロによる世界宣教の働きが中心になります。その
パウロを世界宣教へと送り出したのがアンティオキア教会でした。
1.最初の異邦人教会
アンティオキアは、シリア州の首都で、ローマ、エジプトのアレキサンドリ
アに次ぐ、ローマ帝国の中で三番目に大きな国際都市でした。迫害によってエ
ルサレムにいることができなくなった人たちがこの町に逃れてきて、そこで福
音を伝えたのです。初めはこの町に住むユダヤ人に福音を伝えていたようです
が、どのようなきっかけかは分かりませんがユダヤ人以外の人たちにも福音を
伝えました。すると、多くの人たちが主イエスを信じるようになったのです。
エチオピアの宦官にしても100人隊長コルネリウスにしても、異邦人でしたが
ユダヤ教を重んじる人たちでした。ところがアンティオキアでは、ユダヤ教と
は全く関係のない異邦人が救われ、その人たちが中心になる教会が誕生したの
です。教会の歴史にとって、新たな1ページが開かれたのです。
誰が福音を伝えたのでしょうか。迫害を逃れてきた難民の人たちです。使徒
たちではない、名もなき信徒たちです。「主の御手が共にあった」ので、彼ら
はこの働きをすることができたのです。
2.バルナバの働き
エルサレムの教会は、バルナバをアンティオキア教会に遣わしました。バル
ナバは、到着すると「神の恵みを見て喜び」ました。そして、サウロ(後のパ
ウロ)を連れてきて、一緒に奉仕しました。バルナバは、サウロに彼の賜物が
用いられる場を提供したのです。このように、バルナバは人を活かす人でした。
二人は丸一年の間、教えましたが、それは頭だけの学びではありませんでした。
なぜなら、ここで初めて教会員たちがキリスト者と呼ばれるようになったから
です。人々は彼らの生活を見て、彼らを「キリストに属する者」(小さなキリ
スト)と呼ぶようになったのです。
3.与える教会
飢饉によってエルサレムの教会が困窮していると聞くと、アンティオキア教
会は援助の品を送りました。アンティオキア教会は、愛を実践する教会でした。
アンティオキア教会は、「神の恵み」に生きる教会でした。それが、伝道と
愛の実践となって実を結んで行ったのです(Iコリント15:10)。