2025年9月7日(日)礼拝説教「私は道である」ヨハネによる福音書 14章1~6節 島津師

※途中一部映像が止まります(音声は流れます)

「私は道である」ヨハネによる福音書 14章1~6節

主イエスは、「私は道であり、真理であり、命である」と言われました。こ
こでは道ということがテーマになっているので、主イエスは、「私は真理(真
実)の道、命の道である」と言われたと解釈するのが良いと思います。
1.天の住まいへの道
主イエスは捕らえられ十字架に付けられる前に、弟子たちと最後の食事をさ
れました。その席で主イエスは「心を騒がせてはならない」と言われ、「父の
家に行って、あなたがたのために住まいを用意しに行くのだ」と言われたので
す。するとトマスが「どうして、その道(天の住まいへの道)がわかるでしょ
う」と主イエスに問います。その問いに対して、主イエスは「私は道である」
と答えられたのです。
人が罪を犯したため、罪が神と人との間を隔ててしまいました。そのため、
人間の方から神様の方に行くことができなくなってしまったのです。そこで、
主イエスが人となって来てくださり、すべての人の罪を負って十字架にかかっ
てくださることによって、罪が赦される道を拓いてくださいました。こうして、
主イエスが神への道となってくださったのです。私たちは、主イエスの十字架
という道を通って、天の住まいに行くことができるのです。
2.最も優れた道
主イエスは天の住まいへの道となってくださっただけでなく、私たちがそれ
ぞれの人生をどのように歩むべきかという道も示してくださいました。それは、
「最も優れた道」(Iコリント12:31)である愛に歩めということでした。愛
の賛歌と言われる言葉がコリント第一13章に記されています。主イエスは、ま
さにここに記されている愛に生き抜かれた方でした。主イエスは、私たちに真
に幸いな道(生き方)を示してくださったのです。
けれども、ただ道を示すだけならば、道徳的な教えに留まってしまいます。
主イエスは、ただ道を示すだけではなく、私たちがその道を歩むことができる
ようにしてくださいました。私たちは、自分の力で愛に生きることはできない
のです。しかし、主イエスが共にいて、助けてくださり、力を与えてくださる
のです。失敗することもあれば、つまずくこともあります。しかし主イエスは、
私たちを支え続けてくださいます。ですから私たちもまた、主イエスと共にそ
の道を歩み抜くことができるのです。