「タビタ、起きなさい」使徒言行録 9章32~43節
1.病と死
アイネアは、体が麻痺して8年間も床に着いていました。どんなに大変だっ
たかと思います。また、家族が彼を介護していたのではないかと思いますが、
家族にも大変なことがあったことでしょう。ここには、老いと病という、現在
の私たちが直面している問題があります。
次に、タビタという人が登場します。ギリシャ語に訳すとドルカス、それは
「かもしか」という意味だそうです。活発な女性だったのでしょう。「数々の
善い行いや施しをしていた人」だったと言われています。彼女が亡くなったと
き、やもめたちが泣き悲しんでいたと書かれているので、どんなに慕われてい
た人であったかと思います。しかし、死は残酷です。死は愛する人を奪い去っ
てしまうのです。ここにも、私たちが直面する現実があります。
2.主イエスによる救い
ペトロが、病の床にあったアイネアに「アイネア、イエス・キリストが癒や
してくださる。起きなさい」と言うと、彼は癒やされました。
さらに、ペトロがタビタに「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は生き返
ったのです。主イエスが、ペトロを通して働いておられるのです。
1)今も主は、御心であれば癒やしてくださるという信仰をもって祈りましょ
う(ヤコブ5:13~15)。
2)タビタは、生き返らせていただきましたが、その後、やがてこの地上での
人生を閉じるときが来たことでしょう。しかし、彼女は絶望の中で死を迎える
ことはありませんでした。「タビタ、起きなさい」という主イエスの声を聞い
て、起き上がるときが来ることを知っていたからです。
3)病の時も、老いる時も、死の床に着くときも、主は「タビタ、起きなさい」
と声をかけてくださいます。それは、「信仰の目を覚ませ」ということです。
どんなときにも、主が共にいて支えてくださるのです。
3.教会の交わり
「聖なる者たち」とは、十字架の恵みによって「神様のものとされた者たち」
という意味です。各地に小さな群れ(教会)ができたのです。ペトロはその群
れを巡回しました。アイネアとタビタは、その群れの中にいたのです。それは、
喜びと悲しみを共にする、祈り合う仲間でした。ここに、教会の姿があります。