「こうして、教会は」使徒言行録 9章23~31節
「こうして、教会は、…信者の数が増えていった」と書かれています。では、
どのようにして教会は前進していったのでしょうか。
1.堂々とした宣教
サウロがダマスコでも、エルサレムでも、「堂々と宣教した」と書かれてい
ます。彼は、どうして堂々と宣教することができたのでしょうか。それは、復
活された主イエスと出会うことを通して、福音的な回心の体験をしたからです。
彼はこう言っています。「私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をは
じめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力です」(ロー
マ1:16)。これが彼の確信でした。1福音はすべての人を救う神の力です。神
の救いから漏れている人は一人もいません。2福音は救いをもたらす神の力で
す。主イエスの十字架と復活によって、罪が赦され、神の子とされ、永遠の命
が与えられます。福音はその人を造り変え、迫害する者を神の同労者へと変え
る神の力です。3福音は信じる者を救う神の力です。救われるのは、「恵みの
み」「信仰のみ」です。サウロは、この恵みにあずかりました。ですから、彼
は福音を恥とせず、堂々と福音を伝えたのです。
2.教会の交わり
サウロがエルサレムに行くと、キリスト者たちは教会を迫害していたサウロ
を恐れて警戒しました。そのとき、バルナバがサウロを引き受け、サウロの身
に起こったことを伝え、教会との橋渡し役をしました。その結果、教会はステ
ファノを殉教の死へと追いやったサウロを仲間として受け入れたのです。教会
の中にバルナバのような存在がいるということは、何と幸いなことでしょう。
教会は、このようにして新しく主の弟子となったサウロを育てたのです。
3.こうして、教会は
使徒9章31節には、教会が前進した理由として3つのことが書かれています。
(1) 一致。ユダヤ、ガリラヤ、サマリアには差別意識がありました。しかし、
教会はそれを乗り越え、一致を保ち、平和のうちに築き上げられたのです。
(2) 主を畏れる。主を畏れるとは、主に信頼し、主に従うということです。そ
のとき、人を恐れないで堂々と歩むことができます。
(3) 聖霊の励まし。聖霊は、いつも共にいて、慰め、励まし、力づけてくださ
います。聖霊の励ましによって、教会は前進することができました。