「真の礼拝」使徒言行録 7章51~53節
ステファノは神殿と律法をないがしろにしているという理由で訴えられ、最
高法院で裁かれることになりました。7 章には、最高法院でのステファノの弁
明が記されています。
1.礼拝の場所
エルサレムの神殿をないがしろにしているという訴えに対して、ステファノ
はイスラエルの歴史を振り返って弁明しています。アブラハムは、メソポタミ
アにいたとき、ヨセフはエジプトで、モーセはシナイ山の荒れ野で神の語りか
けを聞きました。また、神殿を造ったソロモンはこう祈っています。「神は果
たして地上に住まわれるでしょうか。天も、天の天も、あなたをお入れするこ
とはできません。まして私が建てたこの神殿などなおさらです」(列王上8:27)。
ステファノはイザヤ66章1~2節の御言葉を引用して、彼らの訴えに答えま
した。神を神殿の中に閉じ込めておくことはできません。神は、どこででも、
ご自身を現してくださるのです。
2.生ける言葉
ステファノは、モーセがシナイ山で十戒を授かったとき、それは「生ける言
葉」を授かったのだと言っています(38)。律法の代表である十戒は、人を縛る
ための戒めではありません。十戒の前文では、こう言われています。「私は主、
あなたの神、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である」(出
エジプト20:2)。ここには、神が救い主であることが言われています。ですから
十戒には、神によって救われた者の感謝の応答が記されているのです。ステフ
ァノを訴える人たちは、律法を守ることによって神の前に正しい者とされよう
としました。そこには喜びがありません。神の言葉は生ける言葉です。神の言
葉は神の愛を伝え、人を生かし、喜びに生きる力を与える言葉です。
3.真の礼拝
ステファノは「あなた方はかたくなで、聖霊に逆らっている」と言って、彼
らの過ちを指摘しました。
モーセは(1)主なる神の語りかけを聞きました。(2)履物を脱ぎました(僕とな
るという意味)。(3)神は彼に使命を与えてくださいました。ここに、かたくな
にならないで、聖霊の導きに従って礼拝する者の姿があります。枯れた柴のよ
うなモーセを、主はいつも共にいて、豊かに用いてくださったのです。