「私は良い羊飼い」ヨハネによる福音書 10章7~11節
主イエスは、「私は良い羊飼いである」と言われました。
1.良い羊飼い
ここで言われている羊とは、私たち人間のことです。羊は牙などを持たない
弱い存在です。人間も羊のように弱い存在なのです。主は、そのような私たち
の良い羊飼いとなってくださいます。
詩編23編には、羊飼いとなってくださる主がどのようなお方かが歌われてい
ます。主は、1養ってくださるお方、2癒やしてくださるお方、3導いてくだ
さるお方、4守ってくださるお方です。そして主は、これらの働きを御言葉を
通して行ってくださいます。
2.良い羊飼いは羊のために命を捨てる
(1)愛
狼などが羊を襲ってくると、良い羊飼いは逃げ出すのではなく、命懸けで闘
います。そのように、良い羊飼いは羊に愛を注ぐのです。主イエスは、ご自分
の命を捨てるほどに、私たち一人ひとりを愛してくださっているのです。
(2)十字架
「羊のために命を捨てる」とは、主イエスの十字架を指し示しています。聖書
はすべての人は罪人だと言います。それは、犯した個々の罪ということに勝っ
て、すべての人は原罪という重荷を負っているということです。それは、人間
が修養努力をしてもなくなるものではありません。主イエスはその私たちを救
うために、すべての罪を代わりに負って十字架にかかり死んでくださったので
す。こうして主イエスは、私たちの罪が赦される道を開いてくださいました。
3.羊が命を得るため
主イエスは、「私が来たのは、羊が命を得るため、しかも豊かに得るためで
ある」と言われました。主イエスは死んで葬られましたが、三日目に復活され
ました。主は、その復活の命を私たちに豊かに与えてくださったのです。
4.私は門である
主イエスは「私は門である」と言われました。羊を守るために作られた柵があ
り、その門が主イエスなのです。主イエスは「私を通って入りなさい」と言わ
れました。それは「主イエスを救い主として信じる」ということです。主イエ
スという門を通って入るとき、豊かな恵みにあずかることができるのです。