2025年4月13日(日)礼拝説教「これは私の体」マタイによる福音書 26章26~30節  島津師

「これは私の体」マタイによる福音書 26章26~30節

主イエスは弟子たちと最後の晩餐をし、その席で最初の聖餐式をしてくださ
いました。
1.罪の赦し
主イエスはパンを裂いて、「これは私の体である」と言われ、杯を取って「こ
れは、罪が赦されるように、多くの人のために流される、私の契約の血である」
と言われました。主イエスはまもなく十字架にかけられ、肉を裂き、血を流さ
れ、殺されます。それは多くの人の罪が赦されるために、すべての人の身代わ
りとなって死ぬのだ、と言われたのです。ですから私たちは、パンを食べ、杯
から飲むことを通して、主イエスが私の罪を赦してくださるために、十字架に
かかってくださったのだ、という感謝を新しくするのです。
2.新しい契約
主イエスは、「これは、…私の契約の血である」と言われました。エレミヤ
書31章31節以下に、新しい契約のことが記されています。その中で、「私は、
私の律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心に書き記す。私は彼らの神となり、
彼らは私の民となる。」「私は彼らの過ちを赦し、もはや彼らの罪を思い起こ
すことはない」と言われています。これが、新しい契約です。十字架と復活の
主が、これを実現してくださったのです。契約を結ぶとき、動物を屠ってその
血をお互いに振りかけました。それは、契約を破ったらこのようになるという
印でした。しかし主イエスは、ここでは、ご自分のみが血を流して契約を結ん
でくださると言われています。ということは、主イエスご自身がこの契約は決
して破られることはないと誓ってくださっているということです。十字架によ
る罪の赦しは、変わることがない確実な恵みなのです。
3.新たに飲むその日まで
主イエスは、「私の父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後
ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい」と言われました。こ
れがいつのことを指すのかについては、いくつかの説があります。
 (1)主イエスが復活されて弟子たちと食事を一緒にされたとき。
 (2)新しく誕生した教会が聖餐を祝ったとき。
 (3)主が再臨され、新天新地で喜びの大宴会が開かれるとき。私たちは聖餐の恵
みに生かされつつ、ここを目指して進んで行くのです。