2025年2月16日(日)礼拝説教「キリストの御名によって」使徒言行録 3章1~10節

「キリストの御名によって」使徒言行録 3章1~10節

1.足の不自由な人
生まれつき足の不自由な人が、「美しの門」と呼ばれる神殿の門の所で施し
を求めていました。彼は毎日、そこに運ばれてきて神殿に礼拝に来る人たちか
ら施しをもらって何とか生きていたのです。将来に対して希望を持つこともで
きず、どんなに辛い毎日だったかと思います。
2.イエス・キリストの名によって
ペトロは彼に言います。「私には銀や金はない。」彼はきっとがっかりした
ことでしょう。しかし、ペトロは続けて言いました。「持っているものをあげ
よう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
すると彼は、躍り上がって立ち、歩き出したのです。
イエス・キリストの名とは、イエス・キリストご自身ということです。ペト
ロは、「私は銀や金は持っていない。しかし、イエス・キリストを持っている。
このイエス・キリストをあなたに与える」と言ったのです。こうして、イエス
・キリストご自身が、生まれつき足の不自由な人を立ち上がらせてくださった
のです。私たちも、銀や金はありません。しかし、私たちにもイエス・キリス
トが与えられています。キリスト者は、「私はイエス・キリストを持っている」
と大胆に言うことができるのです。
3.完全な癒やし(3:16)
(1) 医療と信仰=病気になったとき、神様が癒してくださるから病院に行かなく
てもよいというのは健全な信仰とはいえません。神様は医療を用いて病気を癒
やしてくださいます。
(2) 癒やしを祈る=「まことに私は主、あなたを癒やす者である」(出エジプト
15:26)と主は言われます。癒やしは主の御心です。ですから、率直に「癒や
してください」と祈りましょう。
(3) 弱さの中での癒し=パウロは棘(痛み)を除いてくださいと祈りましたが、
主は棘を取り除くのではなく、「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの
中で完全に現れるのだ」(IIコリント12:9)と言われました。病とは不調和な状態
のことです。パウロは、体の病気は治らなくても、神様との関係は調和の取れ
た関係となりました。ですから彼は「私は、弱いときにこそ強い」とさえ言う
のです。ここに弱さを持ちつつも癒やされている姿を見ることができます。