「あなたも救われる」テモテの手紙第一 1章15節
1.罪人の頭
この手紙を書いた使徒パウロは、自分のことを「罪人の頭」と言っています。
罪人の中でも一番の罪人だと言うのです。パウロはキリスト者になる前に、教
会を激しく迫害した人でした。ステパノが殉教するときも、それに賛同する人
でした。ですから彼の中には、大きな過ちを犯してしまったという後悔があっ
たと思います。
しかし、ここで自分のことを「罪人の頭」と言っているのには、さらに深い
罪の自覚があったと思います。パウロは「正しい人はいない。一人もいない。
…彼らの喉は開いた墓であり、彼らは舌で人を欺き、その唇には蛇の毒がある」
(ローマ3:10~18)と言っています。言葉は人を生かしもし、殺しもしてし
まうのです。さらに、「私は自分のしていることが分かりません。自分が望む
ことを行わず、かえって憎んでいることをしているからです」と言い、「私は
なんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、誰が私を救って
くれるのでしょう」(ローマ7:15~24)と叫んでします。自分の中には罪の
根っこのようなものがある。それを自分の力ではどうすることもできない。で
すから、彼は自分のことを「罪人の頭」と言ったのです。これは、どれだけ大
きな罪を犯したかということではなく、自分という人間はどのようなものなの
か、それをどのように認識しているか、ということです。
2.救い
その罪人の頭を救うために主イエスは来てくださいました。主イエスは全て
の人の罪を負って十字架にかかり、罪を贖ってくださったのです。
「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ち溢れました」(ローマ
5:20)と言われています。罪の認識が深ければ深いほど、神様が与えてくださ
る恵みの大きさが分かるのです。
ルカ7章36節以下に、罪深い女性が主イエスの足に香油を塗った出来事が記
されています。主イエスは言われます。「この人が多くの罪を赦されたことは、
私に示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少
ない」(ルカ7:47)。
私たちはみんな「罪人の頭」なのです。その私たちを救うために主イエスは
来てくださったのです。ここから喜びと感謝に生きる歩みが始まります。