ヒゼキヤ王の時代に、アッシリアの大軍がエルサレムに攻め上って来まし
た。ヒゼキヤは、預言者イザヤに祈りを依頼します。神様は祈りに答えてくだ
さり、アッシリアの大軍を滅ぼし、この危機から救ってくださいました(列王
下 18~19 章。イザヤ 36~37 章)。詩編 46 編は、この時の出来事がもと
になって歌われた賛美だと言われています。
1.苦難の時の傍らの助け
私たちの祈りを聞いてくださるお方は、どのようなお方なのでしょうか。
(1)神は我らの逃れ場
辛い時や苦しい時に、逃れ場があるということは有難いですね。神様ご自身
がびくともしないシェルターとなって私たちを守ってくださるのです。
(2)我らの力
神様は私たちに生きる力を与えてくださいます。
(3)傍らの助け
神様は遠くから助けてくださるのではなく、私たちの傍らにいてくださいま
す。神様は「いと近き助け」です。
ですから、恐れる必要はないのです。
2.川がある
「一つの川がある」(口語訳)。ヒゼキヤは泉からエルサレムまでの地下水
道を作っていたと言われています。ですから、町が敵の軍隊に包囲されていて
も、水を確保することができたのです。「御言葉の水は疲れを癒して、新たな
る命 与えて尽きせじ」(新聖歌297)と歌われています。御言葉の水に生か
される一年とさせていただきましょう。
3.静まれ
神様は、「静まれ」と言われます。
(1)別の翻訳の聖書では「やめよ」と訳されています。「静まれ」とは、ドタバ
タすることをやめることです。
(2)「私こそが神であることを知れ」。アッシリアの大軍も、神様の手の中にあ
りました。この神様が私たちの傍らにいて助けてくださいます。
(3)「静まれ」とは、何もしないことではありません。全能の主が共にいてくだ
さることを確信して、主が導いてくださる道を主と共に進んでいくのです。