2024年10月13日(日)礼拝説教「キリストの苦しみにあずかる」ペトロの手紙第一 4章12~19節

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「キリストの苦しみにあずかる」ペトロ第一 4:12~19
この手紙が書かれた頃は、キリスト者だというだけで迫害された時代でした。
「キリストの苦しみにあずかる」「キリストの名のゆえに非難される」「キリ
スト者として苦しみを受ける」ということが書かれています。今も、世界の中
では、キリスト者というだけで迫害を受ける国があり、困難な中で宣教の働き
をしている人々がいます。私たちは今、表だって迫害に会うことはないかもし
れませんが、日曜日の朝、礼拝を守るということだけでも、そこには戦いがあ
るということがあると思います。そのような中で、キリスト者はどのように生
きるのでしょうか。
1.純粋な信仰に生きる
「火のような試練」と言われていますが、火で精錬されて純粋な金ができる
ように、試練は人から不純物を取り除き純粋な信仰者へと造り上げるのです(I
ペトロ1:7)。「あなたがたのうち誰も、人殺し、盗人、悪を行う者、あるいは、
他人に干渉する者として、苦しみを受けることがないようにしなさい」「裁き
が神の家から始まる時が来たからです」と言われています。私たちは、試練を
通して自分のあり方が探られ、捨てるべきものを捨て、純粋に心から主を愛す
る者へと変えられていくのです。
2.キリストの同志となる
キリスト者としての苦難は、キリストの苦しみにあずかることです。十字架
の苦しみは、主イエスだけです。しかし、主イエスがなされた愛の労苦と宣教
の働きは、キリスト者が受け継いでいくべき働きです。ペトロは「キリスト者
として苦しみを受けるのなら、恥じてはなりません」と言っています。ペトロ
たちは主イエスの名による伝道をしてはならないと脅されたとき、「イエスの
名のために、辱めを受けるほどの者にされたことを喜び」(使徒5:41)伝道を
続けました。かつては主イエスの弟子であると言うことができなかったペトロ
の、聖霊の力によって変えられた姿があります。やがての時、主イエスは「よ
くやった。忠実な僕よ」と言って栄光の冠をかぶせてくださるでしょう。
3.神の創造の御業に参加する
「神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、真実であら
れる創造主に自分の魂を委ねなさい。」神様の創造の御業は、天と地を造られ
た創造のお働きで終わっているわけではありません。神の国の完成を目指して、
日々進められているのです。神様は、万事の中に働いて益となるようにしてく
ださいます。そのために、神を愛する者たちを用いてくださるのです。思い患
いを主に委ね、神の御心の道を進んでいきましょう。