2024年10月6日(日)礼拝説教「救われるのは誰か」マタイによる福音書 9章9~13節

「救われるのは誰か」マタイによる福音書 9章9~13節

ここには、丈夫な人と病人、正しい人と罪人という 2 種類の人が対比され
ています。救われるのはどちらの人でしょうか。
1.マタイを招くイエス様
ここに登場するマタイは、マタイによる福音書を書いたマタイだと言われて
います。彼は徴税人でした。当時、ユダヤの国はローマ帝国に治められていま
した。徴税人はローマ帝国に納める税金を同胞のユダヤ人から集め、しかも決
められた以上の額を集めてそれを自分たちの収入にしていました。ですから、
人々から罪人として軽蔑されていました。
イエス様はマタイが収税所に座って仕事をしているのを見て、「私に従いな
さい」と言われました。イエス様は人々から嫌われ、不正な取り立てをし、ま
さに罪人であったマタイに目を留めてくださり、弟子として招いてくださった
のです。すると彼は立ち上がってイエス様に従いました。マタイはびっくりし
たと思いますが、聖書はとてもあっさりとした書き方で、ここを記しています。
ここにイエス様の御言葉の力があるのだと思います。マタイは、イエス様の御
言葉の力によって罪の中から立ち上がり、イエス様に従う者となったのです。
2.ファリサイ派の人々の非難
イエス様が徴税人や罪人と一緒に食事をしていると、ファリサイ派の人々が
非難しました。ファリサイ派の人々は、律法を守ることに忠実であろうとした
人々です。自分の力で律法を守り、それによって神様に受け入れてもらおうと
したのです。ですから、律法を守らない人々を軽蔑し、裁いていました。そこ
で、徴税人と一緒に食事をするイエス様を非難したのです。
3.罪人を招くため
イエス様は、「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。…私
が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と言われ
ました。ファリサイ派の人々のように、自分は丈夫だ、自分は正しいと思って
いると、救いの必要を感じません。イエス様は病人を癒す医者として、罪人を
救う救い主として来てくださいました。そのために、イエス様はすべての人の
罪を負って十字架にかかり、罪が赦される道を開いてくださいました。そして、
死を打ち破って復活し、今も、私たちを救ってくださるのです。
イエス様はファリサイ派の人々に「『私が求めるのは慈しみであって、いけ
にえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい」と言われました。イ
エス様は、彼らも自分の罪に気づき、主の憐れみが自分のためであることを知
って救われることを願っておられるのです。