「キリストの足跡に続く」ペトロの手紙第一 2章18~25節
1.従いなさい
当時の社会には奴隷がたくさんいました。「召し使いたち」と言われていま
すが、ここで召し使いと言われているのは、家庭の中に入って家の中の仕事を
する奴隷たちのことです。当時の教会には、奴隷という境遇の中で信仰を求め、
クリスチャンになる人たちが多くいたようです。その彼らにペトロは「気難し
い主人にも従いなさい。不当な苦しみを受けても、耐え忍びなさい。逆に、善
を行いなさい」と勧めています。
今も、気難しい(意地悪な)人との関係や、不当な苦しみというような厳し
い環境の中に置かれるということがあると思います。そのような時に、そこか
ら離れるというのは一つの方法だと思います。そこに留まり続けて、心も体も
病んでしまったら大変です。イスラエルの民がエジプトで過酷な状況の中にあ
ったとき、神様はそこから助け出してくださいました。ですから、厳しい状況
の時に「助けて」と叫ぶことは、決して恥ずかしいことではありません。
その上で、当時の奴隷たちは、置かれている状況の中から自分の力で離れる
ことができませんでした。その彼らに対してペトロは「心から畏れ敬って主人
に従いなさい」というのです。どうして、そんなことができるのでしょうか。
2.キリストの模範
キリストは、過酷な状況の中でどう歩むかという模範を示してくださいまし
た。1、キリストは不当な苦しみを受けられました(22)。2、キリストは報復しま
せんでした(23)。3、キリストは正しく裁かれる父なる神様にゆだねておられま
した(23)。キリストは、このようなご自分の足跡に続くようにと、模範を残し
てくださったのです。
3.魂の牧者
キリストは私たちの魂の牧者でいてくださいます。キリストは私たちの罪を
負って十字架にかかってくださり、私たちの罪が赦される道を開いてください
ました。義に生きる、つまり神様と共に歩む者としてくださいました。こうし
て、私たちの魂の傷を癒してくださいました。
キリストの模範とは、模範を示したから、後は自分でやってごらんというこ
とではありません。魂の牧者でいてくださるキリストが手を添えて導いてくだ
さるのです。失敗しても助けてくださいます。ですから「主人に従いなさい」
ということは、滑ったり転んだりしながら、主に助けられての歩みだったと思
います。やがて教会の中に、奴隷たちの中から牧師や司教(その地域の監督)
になる人が出て来るのだそうです。信仰の勝利です。