「神の家の生きた石」ペトロ第一 2:4~8
イエス様と私たちの関係が、家(神殿・教会)に譬えられています。当時の
家は、石を積み上げて造られていました。イエス様が親石で、私たちはその上
に積み上げられる石だと言われています。
1.生ける石
イエス様のことが「主は、人々からは捨てられましたが、神によって選ばれ
た、尊い、生ける石です」と言われています。イエス様は十字架につけられて
殺されましたが、3日目に復活されました。そして、今も生きていて、私たち
に命を与えてくださるお方です。
2.霊の家
(1)「主のもとに来なさい」と言われています。これは生ける石であるイエス
様を信じなさい、という意味です。イエス様との交わりに迎え入れられるとき、
死んだ石のような状態だった私たちが、イエス様からの命をいただいて、私た
ちも「生ける石」となるのです。
(2)「霊の家に造り上げられる」。霊の家とは、神様が臨在される場所という
意味で、教会のことです。父なる神様は、霊の家を造り上げるために、どんな
形の石も、その石の特性を生かして用いてくださいます。霊の家は、あなたが
安心して落ち着くことのできる家(居場所)です。
(3)「霊のいけにえ」=礼拝を献げます。私たちは自分自身を献げ(ローマ
12:1)、感謝(詩編107:22)と祈りを献げます(詩編141:2)。
(4)イエス様は「隅の親石」(6、7)と言われています。これには二つの解釈
があります。一つは、土台石、礎石という意味です。イエス様は土台となって
支えてくださるお方です。もう一つの意味は、アーチの中央に置く要の石とい
う意味です。イエス様は全体をしっかりと結び合わせてくださるお方です。
3.つまずきの石
イエス様は「つまずきの石」ともなると言われています。イエス様は十字架
につけられ殺されました。救い主が殺されるということは、敗北にしか見えま
せんでした。そんな救い主は信じられないということで、人々はイエス様につ
まずいたのです。「彼らがつまずくのは、御言葉に従わないからであって、そ
うなるように定められていたのです」というのは、その人が最初からつまずく
ように定められていたという意味ではなく、「不従順な者がつまずき倒れるこ
とは、神の定めである」という意味です。自分の罪に気づき、イエス様の十字
架が私のためであったということに気づき、心砕かれてイエス様を信じるとき、
その人は救われるのです(コリント第一1:18)。