2024年6月2日(日)礼拝説教「創造の神」創世記 1章1~5節 2024年6月2日 「創造の神」創世記 1:1~5何のために生きるのだろうか、何だか空しいなあ、ということを感じたことがありますか。そのような思いに対して、聖書は何と言っているでしょうか。1.神様が造られた聖書はその冒頭で、「初めに神は天と地を創造された」と言っています。もし、この世界が偶然、たまたまできたもので、私たちも、偶然、今ここに存在しているのだとしたら、「生きる意味などない」ということになってしまいます。私たちがいま座っている椅子は、偶然、木と木が組み合わさってできたものではありません。作った人がいて、作られた目的があって、作られたのです。私たちは椅子よりももっと素晴らしく造られています。聖書は、この世界は、そして私たち一人ひとりは、神様によって造られたのだ、というのです。そして、椅子には椅子の作られた目的があるように、神様は私たち一人ひとりを目的をもって造り、生かしてくださっているのです。ですから、どんな人も、かけがえのない、大切な存在なのです。2.光あれ(1)「地は混沌として、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」混沌と闇の世界、そこに神の霊が水の面を動いていた、言われています。今の世界の状況を見るときに、まさに混沌と闇が世界を覆っているように感じます。しかし、「神の霊が水の面を動いていた」といわれているように、そこにも神様は働いてくださっている、ということを信じましょう。(2)「神は言われた。『光あれ。』すると光があった。」闇が覆う中で、神様は「光あれ」と言われました。すると、闇を切り裂いて、「光があった」のです。太陽や月は、この後に造られているので、この光はもっと根源的な、光の源である神様ご自身からの光だということができるでしょう。そして、このように光を輝かせてくださった神様は、今も働いていてくださり、私たちの中に御業を行ってくださいます。私たちが混乱し、絶望し、真っ暗だと思うときにも、聖書の御言葉を通して神様の言葉に出会うとき、神様は私たちに希望の光を与えてくださるのです。3.私の道の光「若き日に、あなたの造り主を心に刻め」(コヘレト12:1)。神様が私を造り、私に使命を託してくださっているという聖書的な人生観を身に付けましょう。「あなたの言葉は私の足の灯、私の道の光」(詩編119:105)。御言葉は、具体的な生活の中で私たちに力を与え、導きを与えてくださいます。 共有:クリックして Twitter で共有 (新しいウィンドウで開きます)Facebook で共有するにはクリックしてください (新しいウィンドウで開きます)