「聖なる者となりなさい」ペトロ第一 1:13~16
1.ひたすら待ち望みなさい
「それゆえ」(1:13)と書き始められています。これまでに書かれてきた
ことを受けて「それゆえ」と言っているわけです。特に 1 章 3 節では、父な
る神の豊かな憐れみ、そしてイエス・キリストの十字架と復活、それによって
神は私たちを新たに生まれさせ、生ける希望に生きる者としてくださった、と
言われていました。
この恵みにあずかったのだから、「それゆえ」と言って、「キリストが現れ
るときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい」と勧めています。これ
は再臨の希望、新天新地の希望、最終的な勝利の希望です。この希望を「心を
引き締め、身を慎み」「ひたすら待ち望みなさい」というのです。この手紙の
読者である教会は、キリスト者が少ない社会の中で小さな群れをつくっていま
した。様々なことで動揺してしまうこともあったと思います。その彼らに、ゴ
ールをしっかり見て、歩み抜こうと励ましているのです。
2.従順な子として
ゴールを目指して、どのような生活をしていったらよいのでしょうか。「従
順な子として、かつて無知であった頃のさまざまな欲望に従わず」と言われて
います。「無知であった頃」とは、神様の愛も神様のみ旨も知らなかった頃、
という意味です。ガラテヤ5章19~21節にこう書かれています。「肉の行い
は明白です。淫行、汚れ、放蕩、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、怒り、
利己心、分裂、分派、妬み、泥酔、馬鹿騒ぎ、その他このたぐいのものです。」
神が生きて働いておられることを知らないと、このような状態になってしまう
というのです。ですから従順な子として、神様に「はい」と言って従う者とな
ろうと勧めています。
3.聖なる者となりなさい
「聖なる者となりなさい」と言われています。「聖なる者」とは、欠点が一
つもいない、完璧な人という意味ではありません。また、自分の力で頑張って
聖なる者となりなさい、ということでもありません。聖なる者とは、「神様の
ものとされた人」という意味です。主イエスの十字架の恵みによって買い取ら
れ、神様のものとされた人は聖なる者なのです。そして、聖なる神様とつなが
っているときに、神様からの命をいただいて、生活のあらゆる面で聖なる者と
なっていくのです。聖なる者とされた人は、聖霊によって「愛、喜び、平和、
寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」(ガラテヤ5:22~23)という実が結
ばれていきます。ここに、ゴールを目指したキリスト者の生き方があります。